鍼灸師:ひろponの膠原病・闘病記

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zoom RSS “死”を迎えるということ。

<<   作成日時 : 2012/12/05 11:29   >>

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おはようございます。 ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪


重いタイトルの割には軽い絵文字で始まりました。 (*´σー`)エヘヘ


11月の「義父突然死」の後始末に追われる毎日を過ごす内に「身奇麗に死を
迎えたい」という思いが募ってきました。
 。。。o(゚^ ゚)ウーン、今の内にちゃんと考えとかんとなぁ〜。


誰もがこの世に生れ落ちたその瞬間から“死”に向かっていて、誰もが例外な
くみないつか必ず迎えるものなのに・・・なぜか無意識に他人事=自分だけは
例外と考えている事・・・それが“死”というものかもしれません。
 (-_-;ウーン、深い話題やでぇ〜。


思い出してみると私が始めて“死”を意識したのは、十代の終わり頃で膠原病
の症状が重かった頃のことでした。(数値的にはそんなに変化は無いのです
が、また持病と友達関係をうまく保っておらず?振り回されていた頃の話です)


症状(全身の関節痛&筋肉痛)に苦しんでいたある夜、トイレに起きた私は
フラッとして土間からの上がり板?に腰をかけたまでは覚えているのですが
その後前にツンノメッテ気を失ったらしく・・・ゴン!!という音に驚いた母親に
呼び起こされて初めて我に返ったことがありました。


意識がもどった時は、自分がオデコを激しく土間床に打ち付けたのにその痛
さも感じず、また痛かったはずの全身痛すら忘れていた自分がいました。


その時ボンヤリとですが、「死ぬってもっと苦しくて痛いモンかと思とったけ
ど、大したことあらへん。」「死んだらこの痛さを感じんで済むんやなぁ〜。」
なんてアホな事を思ったものでした。


次に“死”を意識したのは・・・東京に出てきて働き始め、ストレスも多くなり、
再び症状が悪化したある夏の日の事でした。


独り暮らしの私はまた全身痛に苦しめられ、寝返りを打つのも一苦労、トイレ
には立ち上がることもできないので、這って行くほどでした。


当然、食べ物もロクに喉を通らず、箸を持つのも痛くて持ち辛く、冷蔵庫に残
っていたジュース等でその場をしのいでいました。(そうそう、熱も39度くらい
出てましたっけ・・・) (゚〜゚)ヾ←ノーテンキな私。


その時は「あ〜あ、このまま死んだら腐るんやろなぁ〜。」なんて遠のく意識の
中で、またまた、アホな事を思ったものでした。


今考えると、そんな事(“死”を実感する出来事)を体験したからこそ、漠然と
過ごしていた人生を見直し、“死までをより良く生きる”ことを認識しだしたのかも
しれません。


「あぁ、私も死ぬんや。」と実感できたのでしょうね。


なんか、アホみたいなコメントの繰り返しですみません、デス!!
 (≧≦) ゴメンヨー


こんな尻切れトンボで恐縮ですが、またおはよう時間終了につき、これにて
失礼します。


では、また。 ☆⌒(*^-゚)ノ~♪see you again♪~ヾ(゚-^*)⌒☆
(内容が重くなってしましましたので、軽いタッチ↑で終了です。)

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